もくじ |
天気予報では「晴れ、山沿いは一時雪」との予報だったが、「山沿いとは上信越国境のこと、秩父は大丈夫」と思い出かけた。 歩き出しから時々風花が舞っていたが、ごく少量で山歩きには支障なかった。しかし、山頂に着く30分程前から本格的な雪になってしまった。山頂からの眺望はなかったが、鳥居と祠の奉られた趣のある山頂だった。 帰路は「登ってきた道を引返えすのが無難」と思ったが、反対側から数人登ってきたので、「踏み跡があるだろう」と大滝温泉を目指して下った。しかし、雪で踏み跡が所々途切れ、道が判り難く大変だった。
伊豆ヶ岳に登り、帰りは正丸峠経由で正丸駅に続く道を下ってみた。 正丸峠までなだらかな道が続いたが、正丸峠からは整備状況が良くなく歩きにくかった。
西武秩父線に沿い、丸山から日和田山まで尾根が繋がっている。昨年の秋に丸山から刈場坂峠の手前まで歩いたので、その続きを歩いた。 刈場坂峠には舗装道路と茶店があり、山歩きの気分は削がれる。だが眺望は抜群、特に関東平野を通して望む赤城や日光の姿が素晴らしかった。 この後、ブナ峠を経て椚平へと下った。こちらに下る人は少ないらしく、都幾川村営バスは、途中まで貸切状態だった。
前回、刈場坂峠から日和田山方面に向かい、ブナ峠から下山してしまった。今回は、正丸駅から刈場坂峠に直接登り、更に先を目指し関八州見晴台まで歩いた。 関八州見晴台は、車道から少し登ったところにあり、名のとおり関東平野を広く見渡せた。ここから黒山へと下る道沿いの沢には、緑や紅色の石が沢山あった。三波石と同じものらしい。 このコースは、山道と舗装道路を行き来しながら続いている。舗装道路は雪が踏み固められ、アイゼンを着けると歩きにくく、外すと滑りやすくて大変だった。
妻坂峠までは昨秋の武川岳と同じ道を辿り、峠からは逆の方向に上った。大持山は奥武蔵としては標高が高く雪景色が楽しめるが、峠からの登りは距離も標高差も大きく大変だった。 登頂後は鳥首峠を経て名郷に下った。鳥首峠には小さな祠が祀られていたが、まわりにビン缶等のゴミが多かった。車の入れない山の中で、これ程ゴミの散らばっている所は珍しい。
富士山のすぐ近くの大きな山で、山名にも惹かれ、以前から気になっていた。この日、友人と共に登ることになり、タクシーで登山口まで入った。 登山口から山頂までの登りは長く、下りが思いやられたが、標高の高い山伏峠に下ったため、比較的短時間で下ることができた。
物見山の頂に立つのは3度目、過去2回は視界が悪かったが、今日は麓の街並みを望むことができた。街並みを眺めながら、これが山名の由来か?などと勝手な想像を廻らせた。 下りは北向地蔵まで行かずに、小瀬名経由の道を歩いた。途中の民家の周辺には、「私有地、立入禁止」という札が数ヶ所あった。住んでいる人から見れば、ハイカーは迷惑な存在かもしれない。
武川岳には、前回は妻坂峠から登ったので、今回は天狗岩経由の道を選んだ。 天狗岩は道端に其れらしい形の岩があるものと想像していたが、天狗岩付近は岩場の道が続いていた。更に、山頂から二子山への道は、地図では平坦に見えたが、小さなピークが幾つも続く上、ザレた場所もあった。結局、想像と大きく異なり結構大変だったが、岩とザレ場の感触を楽しむことができた。なお、カタクリの花も期待して出かけたが、タイミングがあわなかった。
丸山から日和田山へと繋がる尾根には、これまで何回か登ったが、顔振峠から諏訪神社を歩き残していた。この部分を含む関八州見晴台からユガテへのコースを歩いてきた。 丸山から日和田山へと繋がる尾根は関東平野の西の淵にあたる。ほぼ尾根伝いに車道が通っており、時々車道歩きが必要になるのが難点だが、見通しの良い所では関東平野、更にその先には上州や日光の山々を望むことができ、眺望は素晴らしかった。
山頂が三角形で周囲から比較的見分けやすい蕎麦粒山に登ってきた。 連休期間だが、東日原からの道は登山者も少なめで順調だった。帰路は、登山者の多い川乗山方面を避けて、浦山への道を選んだ。踏み跡が細めとの事で、やや心配だったが、仙元峠からの下り口には、はっきりした道が刻まれており、これなら大丈夫と思いながら下り始めた。 歩き出して間もなく、道端に背骨らしきものが落ちていた。かなりの太さがあり、鹿や猪などの大型の動物のものらしい。骨には所々に肉片が残り、周りには毟り取った様な灰色の毛も落ちていた。足場の悪い場所であり、こんな所でバーベキューをしたとも思えない。 ゾッとした思いを抱きながら下り始めると、登って来るご夫婦とであった。ホッとしたのも束の間「登りだしてから人に会ったのは、あなたが始めて」との言葉を聞き、後は一目散にバス停まで下った。
雲取山には何度か登ったことがあるが、何れも山小屋泊りだった。しかし、時刻表を細かく調べてみたら、時間的には日帰り登山も可能、時間と体力に余裕があれば三峰に下ることも可能と判り出掛けた。 鴨沢からやや急ぎ気味に登った。山頂到着後、交通の便の良くない三峰への下山は不安が残り、鴨沢へと戻った。下山中、抜きつ抜かれつの人達の中に、登る際にも見かけた人が何人かいた。マイカー登山が増え、日帰り登山をする人も結構多いらしい。
ここ一ヶ月程、毎週のように山歩きに出かけ、ハードなコースも多かったため、先週は山歩きを休んだ。 蕎麦粒山に登った頃から、暫く歩くと小砂利の上を素足で歩いているような痛みを感じるようになった。今日は歩きなれた伊豆ヶ岳に登ったが、やはり足の裏がおかしい。昨年の山歩き再開以来、ローカットハイキングシューズを使ってきたが、歩いたコースとアンマッチだったかもしれない。
此れまで日光の山々には登ったことが無かったが、時刻表を細かく調べたら、男体山も日帰り可能と判り出掛けた。岩の露出した道が続くとのことで、これまで使用していたローカットハイキングシューズでは不向きと判断し、片足約1400gの重登山靴を20年振り?に使うことにした。 前夜、この靴を履いて近所を歩き回り、靴下は中厚のもの1枚でピッタリすることを確認した。しかし、乗換駅のホームで足が靴の中で滑るのを感じた。登山口で予備の薄手の靴下を重ね、靴紐をきつく締めたが、登りにかかると足が滑る上に重く歩きにくかった。 靴下選択ミスもあり、八合目を過ぎた辺りで疲れきり、ここで昼食後下山と決めた。しかし、食事を取ったら気力が少し回復し、再び登りだし何とか頂上に辿り着いた。 靴が温まると革が柔らかくなるらしい。靴下の選択は、此れを考慮する必要を忘れており、足の爪に負担がかかり大変な登山だった。だが、重登山靴の岩場での安定のよさと、足裏への負担の少なさは確認できた。
男体山で痛めた爪と、それ以前からの足裏の不調のため、2週間山歩きを休んだ。やや落着いたので、歩き慣れた、整備状況の良い道を歩いた。ローカットハイキングシューズも重登山靴も不調だったため、片足約800gのハイキングシューズを20年振り?に使うことにした。 登りは順調だったが、下りにかかると足裏の不調が再現した。左足の踵が地面に触れると痛みが走るようになり、以前より悪化していた。 この後、日常生活でも時々立止る程の痛みが走るようになり、山歩きは無理になり、約4ヶ月間休止した。医師から明確な言葉は無かったが、ネットで調べたら、マラソン愛好者が罹りやすい足底筋膜炎と症状が一致した。
山歩きは一生無理かと思う程の痛みが三ヶ月程続いたが、半月ほど前から痛みが明らかに軽くなった。回復状況を確認してみようと、前回と同じコースを歩いた。 以前と同様、左足の踵が地面に触れると痛みがあるが、鋭い痛みを感じることは少なくなった。ほとんどは鈍い痛みで、歩くことへの支障は小さく、徐々に山歩きを再開することにした。 山歩き休止中にデジタルカメラを購入した。
伊豆ヶ岳に登ってきた。途中では紅葉も見られたが、山頂付近の木々は葉を落として冬景色になっていた。 葉を落してしまうと、一寸寂しくなるが見通しは良くなり、周りの山々を眺めるのには良い季節になった。
奥武蔵にも雪が降った。雪に覆われると、見慣れた風景も、また違った趣がある。青空の下、周囲の山々の雪景色を楽しんだ。
今までに何度か歩いた日和田山から北向地蔵への道を歩き、更にユガテまで足を延ばした。 今年は足底を痛め、もう山歩きは無理かと思う憂鬱な時期もあった。歩いていると、まだ鈍い痛みを感じるが大幅に回復した。今後は、オーバーワークにならない様に、コースや間隔に注意しながら続けようと考えながら下山した。
|